自分自身を手入れする
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
ヨハネによる福音書15章1-2
このぶどうを見て上記の聖書を思い出しました
母はクリスチャンではありませんでしたが、晩年はキリスト教系の小学校で校務員をしていました
きっとお母さんもこの聖句は聞いたことあるはず
売っているぶどうとは違うこの姿
以前までは、売っているような房にするために不要な実を取り除くことをこの聖句のイメージとしていましたが
最近は解釈が変わりました
不要な粒があるというわけではなく、
不要なこと、心を惑わすことから離れ、心身を健やかに保つことで
房として、ぶどうとして実を結ぶ
ということなのかな
と思うようになりました
だからこの房の様子も正解
さぁ、私は自分自身を手入れできているか
背筋を伸ばして見渡そう
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