服について考える

卒業式や入学式、入社式などが挙行される春。

フォーマルな装いをすることが多くなるこの季節。

そこで装いというものについて考えてみました。


若者の和装について

卒業式で見かける袴について、とある有識者が

「卒業式などで見かける袴姿について違和感を覚える。大振袖という格の高いきものに袴を合わせてわざわざ格を落とすものはいかがなものか。合わせるなら黒無地に5つ紋、宝塚の卒業式のようでなければならない。(以下略)」

と堂々とネット記事に書かれていらっしゃいました。

その数日後、天皇陛下の御息女、敬宮愛子様が、大振袖に袴という姿でご卒業の会見をされました。

それは美しい桜色の大振袖に、菊の御紋が入ったもの。格で言えば皇族以外は着ることができない最高の振り袖です。お合わせになられたのは紺の袴で半幅帯は差し色の赤。なんとも清々しく美しい袴姿でした。

先述の某有識者はこの愛子さまの姿をどう思われたのでしょうか。

大学では日本の古典を深く学ばれた愛子さま。その愛子様が選ばれたこの装いは、令和という新しい世にふさわしい袴姿であったと私は感じました。


和服に関しては、有識者と言われる「昔至上主義」の方々がいらっしゃいます。

史実や伝統を残すという意味で、昔はこうだった、と研究するのは大事だと思います。

しかし、昔のルールを厳密に守らせようとしたために、和服文化が衰退したという事実をどうお考えなのでしょうか?

存在し続けるには、変わり続けることが大事なのです。

今の若者が、和装を取り入れるに当たり、昔の流れに敬意を持って、今の文化に合わせることを、大人は制限しすぎてはならないと思います。



大人のジャケットについて

ジャケット着用について、色々考える一件がありました。

ジャケットやスーツを着るという状況はどういうことでしょうか?

オーケストラは、タキシードなどのフォーマルですが、それは貴族の前で演奏していたという歴史があったから。

聞く人に敬意を持った装いが「正装」なのです。

ではじめに戻りまして

ジャケットやスーツを着るという状況は

「相手に敬意を払う状況」

なのです。

講演に登壇される先生やニュースキャスターがジャケットやスーツだったりするのは

話を聞いてくれる人に敬意を表している

と私は理解しています。

それは、初対面の人への「非言語コミュニケーション」の一つだと考えます。

ジャケットを着るということ、スーツを着るということ

それを「ルールだから着せられている」と勘違いせずに

「私はあなたのことを大切に思っています。」

という意思表示だと考えると、ジャケットやスーツを着るのが窮屈に感じないのではないでしょうか?

そして、普段でも気軽にジャケットをはおれるようになるのでは、と思います。

あなたのことが大事です

と。

TPOに合わせた装いというのは、空気読め、とか、同調圧力、ではなく

相手のことを想う最初のコミュニケーション

なのです。


写真は、たまたま佐賀の街で見かけた

辰野金吾先生。


あまぐりキッチン

Food Social Educator  「食で子ども・若者と社会をつなぐ」 ただ食べるだけではもったいない 知って食べることで、味も、日常も、世界も変わる その一口から見える世界を、未来を翔けるみんなに