無償提供の違和感

こんなニュースが目に入りました。
”茨城県立の農業系高校が生産した農産物について、茨城県教育委員会は22年度、販売することを取りやめた。無償提供に切り替えている。”

(茨城新聞のWeb版より。詳細はこちら https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=16539065572997 )

とてつもなく感じる違和感。

農業高校は、栽培や飼育技術を学ぶだけのところではないのです。

実際に自分達で販売することで得られるものは、教科書を超えた物が多いです。
ニーズをつかむマーケティングとか、販売することの責任とか、農業や販売で出来る地域貢献や交流とか。

何度か農業高校に出向いたことがありますが、どうすれば農業で社会に貢献できるか、そこには、経営も含め、大人もゆうに超えたプロフェッショナルな生徒たちがいました。
農業高校には文科省の「SPH(スーパープロフェッショナルハイスクール)」に指定されている学校が少なくないことも頷けます。


ニュースしか見てないので、詳しい事はわからないのですが、今回の失敗は、販売する責任を実感できた経験だと思います。
きちんと和解もされてるとのこと。
被害を受けた農家さんには申し訳ないけれど、そうやって、判断一つで大きな影響があると経験した学生たちは、しっかりとした農産物を世に送り出す生産者になれると思います。
一度の失敗ですべてが終わるのではなく、失敗してもやりなおすチャンスがあると教えるのも教育かと思います。 


 無償提供は言葉はきれいに見えますが、学生が作ったから商品価値が低いという考えが、大人の中にあるような気がしてなりません。 
彼らが作り出したものは、本当に素晴らしいものばかりです。


また、今後農業で身を立てていく若者が、販売の経験がないまま社会に出て、自分の労働に見合った対価をつけて経済的に独り立ち出来るようになれるでしょうか? 

知事は「売るというやり方から、さまざまな別の形で、もっと教育上に有意義な(生産物の)使い方ができるのではないか」と発言していますが、就農した後、農産物のゴールの最後のテープは「販売」なのですから、販売なくして何を学べと言うのでしょう?
家庭科に金融が入るようになった令和なのに、教育に「経済」すなわち、お金儲けが入ってはいけないという、古い考えがそのベースにないでしょうか。そして、スポーツ選手と同じように農業者も、毎日を一生懸命でなければならない、そこにお金という概念があったら汚い、という考えが、頭の隅のどこかにないでしょうか?そんな気がしてならないのです。


そして一番気になるのは、
他の農業高校も含めて、ちゃんと学生の意見は聞いたのでしょうか?
教育委員会というスーツの人達の中だけの決定であるなら、こんなに悲しいことはないです。 


他県の外野の私がいろいろ言うのもどうかと思いましたが、書かずにはいられなかったので。
私の一番の願いは、学生たちが納得した形の答えが出る事です。


あまぐりキッチン

Food Social Educator  「食で子ども・若者と社会をつなぐ」 美味しいとHappyはシェアしよう! 美味しいの世界は、深く広く、楽しい 知って食べることで、味も、日常も、世界も変わる その一口から見える世界を、未来を翔けるみんなに